INTERVIEW
2019.05.10
INTERVIEW
2019.05.10
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フリマネ編集部によるインタビュー。第一回目は、約500名ものママフリーランスが所属するマムズラボ株式会社の代表取締役社長、佐藤にのさんにお話を伺います。これまで会社員やフリーランスとして働き、産後うつ、コミュニティ立ち上げ等様々な経験のある彼女に、子育て中の女性がフリーランスとして活躍するために必要なこと、感じていることを語って頂きます。
————もともとは音楽に興味をお持ちだったそうですね。
はい。音楽のなかでもブラックミュージックが大好きで、高校時代はHipHop、Jazz、レゲエ、R&Bを聴いて毎日学校に行っていました。時代を反映したメッセージや、メロディのアウトプットの多様さに惹かれ、現在でも愛聴しています。学校の文化祭でアーティストを呼んでイベント企画もしていたので、その頃からアーティストを支援するような裏方の仕事に興味があったんだと思います。自分は表方の演者ではなく、裏方として、アーティストたちがのびのびと表現活動できるようお手伝いをしたいと思っていました。
————高校時代のインプットが、その後の佐藤さんに大きな影響を与えていたのですね。絵の勉強やアパレル会社勤務を経てフリーランスとなり、当時では珍しかったパラレルワークをされていたそうですが、どうしてその働き方を選ばれたのでしょうか。
自分のやりたいことができる会社がどこにあるか分からなかったので、自分でやっちゃおうと思ったのが一番のきっかけですね。10代の頃からバックグラウンドの仕事に興味があったのに、何という職種なのかよく分からなかったんです。それなら、まずは自分で考えてやってみようと。
作り方も分からないままフリーペーパーやイベントを企画して、制作物であるサッシやチラシをタワレコや109のショップなどに頭を下げてまわり、置いてもらっていました。当時は20代前半で体力だけはあったので、紙束を抱えながら渋谷の街を歩き回っていましたね。フリーペーパーでもイベントでもそうでしたが、頭の中にあった企画が実現してそれがユーザーに喜んで頂けたときは、いつも達成感を感じていました。今でも印象に残っています。
————フリーランスから音楽会社へ就職、その後再びフリーランスへ転身された経緯を教えてください。
フリーペーパーやイベントの企画制作を中心に活動していた当時、とある音楽会社からお声を頂き、入社することになりました。小さな会社でファミリー感が強く、第一子を妊娠した際も、当時では珍しかったリモートワークを許してくれる会社でした。とにかく仕事が大好きで、出産直前も限界ぎりぎりまで業務連絡をとっていたくらい、精力的に働いていましたね。
けれど産後、仕事に時間を割けなくなったことで、自信を大きく喪失しました。時間が思うように取れないことや収入が減ったことに焦り、属していた組織やコミュニティの役に立てない自分に愕然とし、「働けない私には価値がないんだ」と思ってしまったり。子どもは確かに可愛いし愛おしいのに、仕事が絡むと、産まなければ良かったのかと考えてしまう自分が嫌でした。更に、お世話もうまくできなくて子どもは泣き止まないし、日中は密着育児で孤独だし、激変した生活に精神がついていけませんでしたね。変化なく日々を過ごせている夫が本当にうらやましかったです(笑)。自分が男性ならよかったのかな、なんて思うことも多くありました。
その頃、立ち上げてしばらくたった頃のクラウドワークスさんやランサーズさんをたまたま知りました。発注元が一覧開示されており、発注条件が多様で、受け手が仕事を選べるというプラットフォームの存在を知らなかったので、こんなにも門戸が開かれているものなのかと驚きましたね。子どもがいても社会と自在に繋がれ、収入を得ることができる事実があることに本当に救われたし、心身ともに行き詰まっていた生活が拓ける気がして。やがて、家族、自分、会社、みんなにとって良い方向をと考えて、退職を選びました。
退職してからは、主に、紙媒体やWebのママ系・音楽系メディアの編集やWeb制作、ママ向けイベントの企画制作をフリーランスとして行っていました。その後、第二子を出産し、35歳で再びフリーランスとして復帰しました。
————フリーランスとして働きながらの子育ても、大変だったのではないですか?
そうですね。産前産後の大変さはお子さんのタイプによって様々だと思いますが、我が家の場合、上の子が3歳くらいまでは睡眠時間がほとんど取れずとにかく過酷でした。でも下の子の時は、自分も家族も子育てと家事にだいぶん慣れていたので、育児中の大変さは瞬間的なものでしたよ。
————子育てしながらフリーランスとして働くうえで、家族の理解を得るにはどうするのが良いのでしょうか。
フリーランスに限らず、ママが仕事を頑張りたいと思っても、パートナーから「家事や育児がおろそかになりそう」という理由で応援が得られにくい、というお話はよく聞きます。けれど家のことでパートナーと対立したいわけではないので、家族と、特に夫と、とにかく話し合うことが大切かなと思います。男性と女性では脳みそのつくりが違うので、「自分が働くことで、1年でこれだけ収入が増えるよ」「収入が増えて3年頑張ったら、みんなで海外旅行ができるよね」など、具体的なプランと一緒に話します。「その代わり、今までやっていたこの家事はできなくなるから力を貸してね」というように、担当してもらいたい部分を具体的に伝えられると、理解が得られやすいのではないでしょうか。
“一緒に乗り越えていこうよ”という風土を家庭にも作ることで、お互いに応援し合える関係を作れるのではと感じています。
————第二子出産後もフリーランスとして社会復帰された佐藤さんですが、そのうち一人ではできることが限られると思い、周りに声をかけて仲間を集めていったそうですね。人脈はどのようにつくられたのでしょうか。
やっぱり初めは一人でしたが、少しずつ「一緒に仕事しようよ」とフリーランス同士で案件を譲り合ったりアサインし合ったりということが増え、仲間になっていきました。2年くらいかけて約50人程度の規模になり、案件をチームで受けていました。
私、基本的にコミュ障なので交流会とかにはほとんど行かないんですよ。5人以上の前や、すでに完成されたコミュニティではうまく喋れなくて(笑)。自分みたいに何かに参加したものの、既にあるコミュニティの中で喋れず帰ってきちゃった、という人は自分以外にもいらっしゃるような気がしたので、それなら初めまして同士で話せる場を作ろうと思って、小さいママ会やフリーランスで集まるクリエイター会をよく企画していました。当時はアメブロでしたが、Webで発信し、興味のある方に情報を届け、実施を繰り返していきました。それが自然と、人脈と呼ばれるものになった感じですね。
————現在マムズラボ代表取締役副社長であり、元々SBヒューマンキャピタル株式会社にいらっしゃった武田直人さんとは、もともとお知り合いだったんですか?
初めは共通の知り合いが居るくらいでした。
元々SBヒューマンキャピタルで新規事業を担当していた武田が「世の中のママの働き方を変える事業をやりたい」との思いを持ち、外部にある複数のママ団体にお声をかけた中に、私たちのチームもありました。半年ほどかけて実際の業務や協議を重ね信頼関係を構築し、お互いにコミットし合ってマムズラボ事業を立ち上げました。私にとってはビジョンや描く未来図が同じだったことはもちろん、人柄や仕事への姿勢に共感できたことで、唯一無二の縁であると思えたことが大きかったです。
————そこから法人化され、現在ではJR東日本やLIXIL住宅研究所等、多くの有名企業とコラボレーションをされているマムズラボさんですが、そのきっかけはどのようにつくられるのでしょうか。
マムズラボに評価を頂いていることがあるとすれば、それはママ目線を持ち、作り手としても力を発揮して下さるクリエイターの皆さんのおかげなので、クリエイター一人ひとりの存在こそがそもそものきっかけであると思っています。
ビジネス的なきっかけで言うと、営業が直接お客さまを訪問し、企業課題に対して“マーケティングやクリエイティブ領域におけるママ目線の解決方法と、解決するまでのプロセス”をご提案します。単発案件はもちろんのこと、中長期の場合はプロジェクト化することもありますし、「ママ向けの○○をつくってください」というお問合せやご依頼を頂いて協業形式で作り上げていくこともあります。クリエイターからなるママコミュニティにベネフィットを感じて頂けることが多いですね。
そして、ディレクターやデザイナー、ライターなど、案件に必要なクリエイターを検討し個別または立候補制でアサインします。依頼時には、適性を見極めさせていただく部分はありますが、色々な仕事にひたすらチャレンジしたいという方や、出来る限り安定して働きたいという方、フリーランスの皆さんがそれぞれ望む形態に合ったご依頼ができるようにしています。
————“ママ目線の解決方法と、解決するまでのプロセス”の提案とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
マーケティングやクリエイティブ領域における市場調査・リサーチ、印刷物・Web・イベントの制作、メディア・SNS・広告の管理運用、商品開発のほか、企画立案や戦略提案などです。ママの参照元となる媒体や情報をコントロールしながら、マス媒体だけではなく、リアルなマイクロコミュニティを起点に情報を伝播させていく仕掛けもご提案しています。主催イベント「かぞくみらいフェス」やママ領域における業界団体とのリレーションシップなど、コミュニケーションインフラを内包していることも強みの一つになっていると思っています。
————産後うつやクラウドソーシングなどご自身の経験から、今度はご自身で「こういう形でも仕事ができるよ」ということを形にされているのは素晴らしいですね。
そうですね。マムズラボを組織化した基本的な理由、想いのベースはそこにあります。
育児や共働きの予備知識なく母親になり、友達にも会えず、仕事も十分にこなせなかった産後は、社会的な自分の価値を見出せずに辛い時期でした。もちろん母として妻として、その時にしかできない子育てと家事に集中することも大切です。けれど性差をとっぱらい“女性として家事育児ができるから良い・悪い”ではなく、 “家事育児に集中することが合う・合わない”で自分を顧みた時に、「自分には育児と家事に集中する適性が足りない、けれど、仕事への適性はある」と判断できました。そう理解することで気持ちが楽になり、「人として生き方として、仕事“も”選んでもいい。どんな形でも働くことができる」ことに、子どもを得られたからこそ気づくことができました。であれば、家事育児と仕事のトリプル両立に悩む一人でも多くのママに、悩みが少しでも楽になる仕事の仕方を伝えたい。時間や場所に縛られすぎずに働ける環境を提供したい。それがマムズラボの根幹です。
————代表取締役になったことによる、環境や心境の変化がありましたか?
“なんだか凄そう”って思われることが増えました…。現場はたくさんやってきましたが、社会的にハイスペックな人間でもないので、むしろ凄さは皆無なのですが…。肩書きには今でもなかなか慣れません。
仕事に対する個人的な考え方で言えば、指揮系統が確立された設計についてや、プロセスの可視化、リスクマネジメント手法などはより重要視するようになりました。また、クリエイターを支え護りながらも、組織として歪まずにいるための物事の考え方については大きく変わりました。
————家事育児と仕事に対して、不安を感じるママはたくさんいらっしゃると思いますが、伝えたいメッセージはありますか?
2人の子を持ち、夫に支えられ、経験や環境づくりを経てできるようになったこともたくさんありますが、私個人としては、一人ではいまだにできないことだらけです。ノンキャリア組ですしタトゥーだって入ってますし、家族は最高に愛していますけれど家事は好きじゃないし(笑)。けどこんな私でも出来るんだから、皆さんなら絶対に大丈夫!ということをお伝えしたいです。
佐藤 にの -Nino Sato-
高校を卒業し、アパレル会社勤務後、23歳でフリーランスのパラレルワーカーに。イベント企画のほか、10代の頃から大好きだった音楽のフリーペーパー発行を企画、編集も行う。その後音楽会社に入社してイベントの企画・制作、メディアの企画・運営を担当し、在職中に第一子を出産。リモートワークで復職するも、家事育児と仕事のトリプル両立からくる負担から退職、再びフリーランスへ。自らフリーランスのママクリエイターのためのコミュニティを立ち上げ、2016年にSBヒューマンキャピタルのマムズラボ事業を協業形式で立上げ。2017年にマムズラボ事業を同社の子会社として法人化、マムズラボ株式会社の代表取締役社長に就任。子育てに忙しいママの働く環境を良くするべく、企業とのコラボレーション事業やイベント企画等を行っている。JAPAN FAMILY PROJECT代表理事、Stand for mothers理事。